スベリヒユ~食べられる雑草との戦い~
植物育成の敵、スベリヒユ
我が家には畑がある。トマトにスイカ、メロン、なすび、とうきび……とにかく大量に育てている。両親の趣味で毎年食べきれないくらいに育てている。
畑を作ると問題になるのが害虫対策、獣害対策。そして雑草対策だ。雑草について特に問題になるのは、「スベリヒユ」という植物。ここでは畑の仇であるスベリヒユと、農家の孫である私の戦いの記録を書こうと思う。
スベリヒユ 食べてしまえば 根絶か
スベリヒユはいくら抜いても生えてくる。朝抜いて夕方同じ場所を見ると、「あれ? また生えてないか……?」
気のせいかもしれないが、そう思うくらい畑にはびっしりだ。どうしようかと途方に暮れていたが、結論が出た。
食用にしてしまえば消えるのでは?
そこから私とスベリヒユの戦いが始まった。
そもそもスベリヒユとは
敵と戦うにはまず敵の情報を仕入れる。戦に勝つ鉄則だ。私はスベリヒユをよく観察することにした。茎の色は赤と白で構成されていて、やや紫がかったところもある。葉っぱは太陽光を反射して、キラキラとして緑色をしている。形状は楕円形で触るとブヨブヨとしている。
話によれば近年、青魚に含まれているω-3脂肪酸がスベリヒユにも含まれていることがわかったそうだ。ω-3脂肪酸はアルツハイマー型認知症に効くとされているから食べて損はないはずだ。しかし食べ過ぎると下痢になるらしい。
昔はスベリヒユから水銀が取れると言われていたそうだが、それは間違いだったという。
いざ実食!
そうはいっても食べるのには勇気がいった。なにせかつては水銀作りの材料にしようとした植物。情報によると食べられる野草とされているが不安はあった。さらになんともいえないその容姿。不気味である。だが勇気を振り絞り、覚悟を決めて食べることにした。
味と食感
まずは生で食べてみる。葉っぱから茎を食べてみる。感想としては十分に食べることができる味だ。芝生の臭いのような青臭さは感じられない。
味について
食べるからには味が一番重要だ。まずければ次はない。変な味、珍妙な味……そんなことはまったくなく、どこかで食べたことのある味だ。たとえるなら、パセリだ。ファミレスの料理についてくる、申し訳なさそうについてくるあのパセリを思い出した。
私はパセリが嫌いではないので抵抗はなかった。調理をしていない状態でパセリなら、これから食卓に並ぶ可能性があると思った。
食感は?
食感はパリパリとしていて、それでいて芯があるとはいえない。表面はパリパリとしている。芯がないというのは茎の内部はネバネバとしているからだ。葉っぱもネバネバとしていて食べられないことはなかった。
食べ方を考える
ただ生で食べるというのも、毎日食卓に並べるとなると飽きてしまう。バリエーションが必要だ。そこで、焼けば焦げてしまうだけだと思い、茹でることにした。
茹でてみる
茹で方としてはごく単純。沸騰したお湯にただスベリヒユを入れるだけ。塩も醬油も入れなかった。あとは水に浸しておく。素材だけでまずは食べるべきだと考えた。
食べた感想は茎の内部のネバネバは増しているが、表面のパリパリはやわらかくなっていた。
味に関しては生で食べた時のパセリに似た風味は薄くなっていた。私は思った。これは調理ができる、と。
調理してみる
ネバネバの茎ときて思いついたのが、オクラに似ているということだ。オクラほど固くはないが味もオクラに似ているように感じた。オクラはよく、分割、切られた状態でテーブルに並ぶが、現在のスベリヒユはまだ細長い形だ。
おひたしにする
長い形状でしっとりとしている食べ物といえば、おひたしだと思った。おひたしといっても立派なものではなく、ただ茹でたスベリヒユに醤油をかけ、かつお節をかけただけのシンプルなものだ。しかしスベリヒユ自体の味の個性が消えてしまい、醬油の濃い味だけが舌に残った。
豆腐のお供にする
これはなかなか上出来な方だ。切ってただ豆腐にのせるだけ。かつお節を乗せる。ネバネバと豆腐の食感がマッチして、オクラと遜色ない。
納豆に混ぜる
もはやスベリヒユというよりオクラの食べ方である。スベリヒユが持つネバネバの食感が納豆のネバネバの食感と相まって、ご飯がすすむ。納豆のドロドロとは違いスベリヒユのほうが歯ごたえはあるので、組み合わせとしては口の中でドロドロとシャキシャキが混ざったように感じた。
まとめ
結果として私はスベリヒユに敗北した。毎日すすんで、オクラに似た植物を食べたいと私は思わない。毎日スベリヒユを摘んで家に帰って、洗って調理する気にはなれなかった。そうしてスベリヒユは毎日伸びて、元気に大きくなっていった。スベリヒユは体に良いのかもしれないが、トマトを育てて食べたほうが私の幸福度は上がるという結論にいたった。我が家の食卓にスベリヒユという植物が並ぶことはなくなり、畑にスベリヒユという雑草が生い茂っていた。