私の人生、成し遂げたいこと【3本の柱】

1本目の柱「精神障がいについて発信する」

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/R/REOpon/20230211/20230211005019.jpg私には生きていくうえで成し遂げたい3つの柱があります。それは「精神障がいについて発信する」「文筆業に挑戦したい」「生きがいを重視して生活したい」という3つです。今回は1つ目の柱、「精神障がいについて発信する」について話したいと思います。

 

病を患った私だからこそ発信できることがある

私は統合失調症という診断を受けてから、「自分と同じような病の人の力になりたい」と強く思うようになり、大学では社会福祉を専攻し国家資格である社会福祉士を取得しました。統合失調症は妄想や幻覚の世界で生きていると思う人もいるかもしれませんが、症状は人によって異なります。うつ状態で落ち込んでいる人もいれば、集中して物事に取組めないという症状の人もいます。統合失調症は人それぞれ性格が違うように症状はさまざまです。私は病を患ったからこそ発信できることがある、と信じています。まずは私の実体験・体験談から話していきましょう。

ある日、統合失調症と診断を受けた

私は高校2年生の時に、「中程度のうつ」という診断を受けました。医師が言うには、「半年で良くなる」とのことでほっとしたことを覚えています。しかし、治療を続けても一向に良くはなりませんでした。高校卒業が近くなり、私も含め周りの学生たちも受験モードに突入した時から私の心理状態に異変が起きます。自室にいても親に見られていると思いはじめたのです。医師にそのことを相談すると、統合失調症と診断を受けました。

統合失調症のイメージ

診断を受けたあの日の絶望感は忘れられません。人間として否定されたように感じ、「人生終わった」と思った記憶があります。なぜそのような絶望感を抱いたのでしょうか。理由は統合失調症に対してのイメージです。妄想や幻覚があって、何を言っているのかまったくわからない人。当時の私はそう認識していました。

回復に向けての挑戦

治療に早期介入したせいもあったのか、私が処方される薬はうつ状態を改善するためのものが増えました。統合失調症の症状の一つである、うつ状態にも効果があるという薬がメインとなりました。その後は薬の処方量は必ず守ること、依存症になる可能性があることはしないと心に誓い、生活を続けました。私は必死に孤独な戦いを続けていました。

うつ状態が軽くなって見えてきたもの

うつ状態を意識せずに暮らすことができるようになったころ、見えてきたことがあります。それは人の動きです。近くにいる家族が普段なにをして、なにを考えているのかについて意識が向くようになりました。また、友人もなにを考えて私と関わっているのかについて考えるようになりました。私はそこで一つ、重大なことに気がつきました。それは私が現在まで生きることができた理由です。

生きることができた理由

私にはそばにいてくれる人、支えてくれる人がいました。それは親や姉、祖母といった家族。私が落ち込んでいる時は距離を取ってくれたり、また近づいてきてくれる友人。うつ状態になった時は自然と家族や友人の顔を思い出していました。「この人たちを裏切ってはいけない、悲しませてはいけない」と、心のどこかで考えていたのかもしれません。私がなにかの依存症にならなかったこと、治療を決して諦めなかった理由は周りの人が支えてくれて、私が生きることを認めてくれたからだと思っています。私が今生きているのは私自身が生きることを諦めなかったからだけではなく、周囲の人も私が生きることを諦めなかったからなのです。

現在の私の症状

現在私は、医師からは異常体験(幻覚や妄想)は消失していると診断されています。また、直近3年間ではうつ状態もなくなりました。しかし残った症状として、認知機能障害があり治療薬を服用しています。一度にたくさんの物事を判断することに苦手意識があるという症状です。簡潔に説明するなら、自動車の運転がわかりやすいでしょう。運転をしているときは、一度にたくさんの情報を見て聴いて判断しなければなりません。私はそのことが困難で、運転免許を取得することが現時点ではできません。そのため、なにか行動をする時や、成し遂げようとするためには一度なにをするべきか紙に書いてみる。人の意見をしっかり聴いて、慎重に判断をすることにしています。

これからなにをしたいのか

統合失調症のイメージが世間で悪いということは、診断されてから何度も感じています。一方でイメージが悪いと感じているのは世間だけではないとも感じています。私の周りにいる当事者も、「自分は統合失調症なんだ」と人生を諦めてしまったり、治療を辞めてしまう人もいます。しかし適切な治療を行うことで、快方に向かう人がいることを知ってほしいと私は思います。私が人生を諦めなかった理由は、周囲の人に恵まれていたからです。私は病を患っている人ほど一人にしてはいけない、孤独にしてはいけないと強く主張したいのです。また障がいに対するイメージを世間という外からも、当事者自身の考え方という内からも変えていけるような人間になりたいと考えています。

1つ目の柱についてのまとめ

ここまでは生きていくうえで成し遂げたい、柱の1つについて書きました。この柱は「病を患った経験」を通して考え抜いた、現在の私の生き方です。この先なにを選択し、どのような決断をするのか将来は分からないことだらけですが、私は自分の言葉で精神障がいを持って生きるということについて、発信をしていきたいと考えています。